フォト

Friendly

  • TAIKO
    私の作詞に曲をつけてくれた金沢で活躍するアーチスト茨木大光さんのHPです。
  • ミカエル
    世界のかえる博物館長が見聞きした楽しいブログ。
無料ブログはココログ

« 我が母校の書道部に、感謝!! | トップページ | 七夕の宵に捧ぐ・・・恋のカタチ。 »

2010年6月20日 (日)

人は皆…おくりびと。おくられびと。

このブログを開いて綴ることがなかなか出来ない程、この1ヶ月は、公私ともに多忙過ぎて。まさに忙しいという字の如く、心を亡くしてました。亡くすといえば、二人の親友のお父さまやお母さまが旅立たれたこともこの間にあり、なんとも言えない哀しみを一緒に感じる期間でした。

人は、やがて、誰もが、鳥になり天に召されます。それは、抗えない事実。オギャーと生まれた瞬間から、生きることは、死へ向かって、歩むことです。

私には、もう両親がこの世にいません。戒名を唱えることで、父や母と繋がる呪文をもら
てますが、19歳の夏に天国に逝ったお父ちゃん。3年前に天国に召されたお母ちゃん。どちらも病死でした。死に目にこそ、会えなかったけど。母の時は、お見舞いもでき、想い出作りの二人旅もでき、きちんと看取れた気がしています。父の時は、私がまだ未熟で若過ぎて、ただ泣くことしか出来なかった。その時は、傍に母が健在で全てを母がこなしてくれたから。

このブログを読んでいる方の中にも、突然の別れを体験された方や、まだまだご両親が健在で今日の父の日も、先月の母の日も、ありがとうと言える関係で、お祝いできる距離に存在していてくださる方もいることでしょうね。それぞれの、親子関係があるように、人はみな、“
おくりびと”であり、“おくられび”です。

私が母を亡くした2007年師走は、幾度となく故郷・愛媛に帰省し、母との想い出つくりの余命を過ごしました。それは、LIVE観賞だったり、母娘二人旅だったり、愉しい企画は、あっと言う間に過ぎ去り、9月から亡くなる12月までの期間は入院生活でした。(また、この間のエピソードは後日綴ることにいたします。)それでも、余命一年あるかないか。5月に癌の告知をされてからの8ヶ月生き抜いてくれました。

入院は回復の希望がないもの。退院とは、死を意味し、退院し家に戻る時は、母が亡くなった事実を受け止めなくてはなりません。けれど、この数ヶ月間の、お別れの儀式のような日々が、私に覚悟を決めて 挑む強さ を与えてくれていたのは確かです。

そんな、覚悟が決められず、まさに、天災というような亡くなり方で、最愛の人が天に召される。そんな話を偶然にもこの時期、風の便りに聴きました。今から話すことは、実際にあったことです。が、私と同じように、母を亡くした方のことを綴るので、その方にも失礼がないように、また、ご遺族やお身内、親しくされていた方も、そして、当のご本人さま。今はもう、母と同じく、天に召されて、天女となられた、母上さまに対しても、慈しみと尊敬の念で向き合い、綴らせて頂きます。そして、いま、縁あって、このブログを読んでくださる、あなたにも、心静かに聴いてくださいねとお願い致します。

その方は、私が住む町からは遠く離れた日本海の町に住む女性です。そして、その方の母上は、嫁いだ娘のその方とは、離れて弟夫妻とご実家で住んでおられました。仮に、その方の呼び名をここでは、Aさんとします。その時のAさんのとった行動と、Aさんの置かれていた立場と、決して誰もが成し得ないであろうことをAさんは、『陰陽』、一挙に成し遂げたから。尊敬に値します。

Aさんは、先月末にとても大事なイベントを控えて、実行委員のお仲間たちとその開催に向けて必死でした。慣れない公演の動員や、募金呼びかけや、さまざまな偏見や、見知らぬ人たちをも巻き込んで、いい催しをするために、まとめ役の代表として、努力をされていました。


実は、Aさんの母上は、病気を抱えつつも、弟夫妻の手厚い看病で、ご実家で在宅介護しつつ、穏やかな日々を過ごされていました。そんな折、悲劇が起こりました。家人の留守に、酸素ボンベが引火して、爆発し、一瞬の内に火が舞い上がり家屋が全焼。そうです。最愛の母上は、天に召されたのです。

しかも、事故死ですから、ご遺体を検死に出されて、一週間逢えないまま、葬儀もできないまま、ただただ、待つことを余儀なくされたのです。この間に、Aさんがとった行動が凄いのです。葬儀に間に合うようにと、母上の笑顔の写真のデータをかき集め、それをいっぱいプリントアウトして、告別式には、会場壁一面、母上の笑顔の写真で飾り、お焼香に参列してくださった方たちにも、「ほんとうに、いつも笑顔の人やったわ」「この時の笑顔、知っているよ」「笑顔に癒されたわ」と次々と涙に暮れるはずの葬儀会場を、感動とうれし涙のような笑顔の手土産をもたせてあげたのです。

きっと、参列された方も、ほっとされたことでしょうね。お焼香に行っても、なんと言葉をご遺族にかけたらいいのか。一番つらいはずのAさんが、参列する方の心を癒すなんて。お見事です。Aさん曰く、「母のことしか、考えてなかった。生きていた…笑っていた…笑顔でおぼえていてほしかったから・・・」と語られたそうです。
      


普通は、考えも及ばない。人をもてなす。しかも、葬儀で。しかも、こんな不慮の事故の痛烈な哀しみの最中でも、明るい方へ、ベクトルを向けることのいかに大切かを。そして、イメージしたのです。何故か私は逢ったこともないAさんの母上の笑顔に出逢えたような、幸せな気持ちに浸っていました。まるで、陽だまりのような、穏やかな、ゆるやかなぬくみさえも肌に感じながら…。

その哀しみの葬儀の一週間後には、先に話したように、大イベントが控えているというのに。Aさんは、一人の友人にだけ、母の死を告げて、もしも当日何かあったらと伝えただけで、ほかの方には一切知らせず、黙々と、コンサートを開催に向けて対応したのです。当日は、舞台に立ち、代表としてのご挨拶もされたとか。Aさんの住まいと、亡くなった母上の住まいは少し距離があったため、この事故は、Aさんの住む町ではNEWSにならずに済んだ事が幸いしたのかもしれませんが。



201006191630000

その時の新聞記事をここにUPしておきます。普通の主婦たちが、ウクライナの歌姫、ナターシャさんの歌声を、地元の人たちに聴いて欲しいと願い、「ナターシャの歌声を聴く会」を発足し、町内の文化ホールで開いた事実は、拍手喝采を浴びるほど、尊いことだと私は感じています。Aさんの住む地域は、原発と闘うエリア。だからこそ、ここでチェルノブイリ原発の爆発事故で被曝したナターシャさんのコンサートを開くことは、悲喜こもごも。地元の人たちの心模様もさまざまでひとつになるには、難しかったと察します。それが結果、コンサートが大成功し、収益も出て、募金もできて、最後には、アンケートの声での反響にもあったように、会場に足を運んだ人たち、LIVEなんぞ一度も縁がなく、行ったこともなかった人の心にも、ちゃんと、思いは伝わり、感動の嵐を巻きおこしたそうです。http://www.office-zirka.com/ 

後日談で、Aさんの母上は、ほんとうに素晴らしい生き方をされたこと。ここで披露して、私からのお悔やみの言葉に代えます。

Aさんが、弟さんと、全焼した実家のあと片づけをしていた時、近くで、黒塗りの車が停まったとか。その車から、降りてこられ、深々と頭を下げて、「お母さんには、大変お世話になったから、お参りにさせてください」と、言われた御仁は、なんと、(前)M総理だったとか。焼きつくされた現場に、わざわざ、足を運ぶのは、相当の恩義を感じていたか、母上の偉大さを物語るエピソードです。

どなたの父や母も、きっと、何がしか、子どもたちに、何かを残してくれて逝きます。Aさんの母上は、Aさんさえも知らないところで、一人の人間として、誰かの心を動かすほどの、言動をされて、妻として、母として、しっかり、子育てし、生きてきた方なんだと知りました。
今頃は、3年前に逝った私の母と、お茶のみ友だちになってくれているといいのですが…。きっと、なってくれていますよね。空の上から、下界の私たちを見て、うちの娘は、とふたりで、笑ってくれているような、今日は、そんな梅雨の晴れ間です。

                       心より、ご冥福をお祈りいたします。合掌。

今回、このような出来事を何故私が綴ったか、聡明な方なら、もうお分かりですよね。葬儀のあり方について、私たちは、もう少し、故人を偲ぶためにも、各自の愛情を注ぐ何かを最期の儀式に、彩りを添えてもいいのではないでしょうか?葬儀屋さんの言い成りのパック方式でなく、手づくりでもいいから、ココロをカタチに表す演出を。故人が一番喜ぶ方法で、また、残された人たちも、参列する所縁の人たちも、心が穏やかになる。

そんなお別れの集いができればいいなと感じました。このAさんが、されたように、笑顔の顔写真をいっぱい飾る。なんて心にくい粋な計らいでしょうか。ましてや、一番の哀しみに立ち向かい、その数日後には、大きな催事を控えている中で。人は、底力を発揮するのだと教えられました。もしかしたら、Aさんは、この大イベントがあったから、辛さを堪え、このゴールに向かって、まっしぐらに走り抜けたのかもしれません。

いろいろ綴って来て、ふと、我に返ると、母の葬儀の時に、私も、わがままを通した事がありました。完全に仕切られた葬儀式次第に、あえて無理を言い、加えてもらったのが、下記に記す楽曲です。母が亡くなる前のちょうど今頃。6月後半に、母と兄と私と息子とで、歌手・クミコさんの愛媛・松山でのコンサートに行きました。

そのクミコさんの楽曲で、♪「鳥の歌」という素晴らしい歌があります。この歌で、母の野辺の送りをしたいとお願いして、葬儀の最後に、持参したCDを流してもらいました。やがて、母がほんとうに、鳥になり、空に舞い上がったような気持ちになりました。今も時々、空を見上げては、鳥になった母を偲んでいます。



 ♪「鳥の歌」      歌:クミコ     作詞:松本隆     作曲:カタロニア民謡

歌詞は、著作権があるため、下記のサイト開いて歌詞をご覧になるか、PCに対応するサイトで試聴してみてね。

http://j-lyric.net/artist/a04d9a0/l0198da.html    ★歌詞のみ

http://www.tsutaya.co.jp/works/20017137.html     ★歌詞と試聴♪

http://listen.jp/store/album_4988006167186.htm   歌詞と試聴


注 ※ この本文は、私(長月瞑)自身の心模様を綴った感想であり、聴き及んだ事実を素直に掬いとり、私なりの表現でエッセイ風に書き下ろしました。文責:長月 瞑



« 我が母校の書道部に、感謝!! | トップページ | 七夕の宵に捧ぐ・・・恋のカタチ。 »

エッセイ」カテゴリの記事

コメント

この記事読んで、涙が溢れてきました。

やがて迎えるであろう、大切な人の死。
祖母に、母に、父に。

順番通りになるのかも
分からないけれど、確実に時は過ぎてゆく。

葬儀屋のパックだけでなく、
彼ら、彼女達の愛した音楽や写真を飾ろうと思います。
もしかした、素敵な遺影を撮る為に、今回
一眼を飼って母の想い出の土地に旅行したのかもしれない、と
感じています。

いつもありがとうござます。

そうね。事実は小説よりも奇なり。哀しみに暮れる人たちの心にどれだけ寄り添えるか。それは、同じように傷ついた羽根を持つ鳥じゃないとその痛みは、わからない。目に見える傷ではなく心の痛手は特に…。
いま、Tamamiさんが、為さろうとしていることには、必ず意味があるわ。その意味を形にするために、いまを生きてね。いつもブログを丁寧に読み取ってくださり、ありがとう。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1266915/35373622

この記事へのトラックバック一覧です: 人は皆…おくりびと。おくられびと。:

« 我が母校の書道部に、感謝!! | トップページ | 七夕の宵に捧ぐ・・・恋のカタチ。 »

2015年5月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

最近のトラックバック