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2011年6月21日 (火)

思えば私がこの世で初めて出会ったのが「私」。

堀文子という日本画家のことを、いつからか気にしていた。それは、昔観た深夜のTVドキュメント番組だったように記憶している。ベッドに横たわる高齢の婦人が、なにやら、微生物を描いていた。科学者のような瞳で、顕微鏡で見る世界に、嬉々として絵を描いていた。この人は、いったい何者なのだろうか?

 

堀文子の言葉 ひとりで生きる (「生きる言葉」シリーズ)

      

買ったきっかけ:
図書館の新刊コーナーで。

感想:
凛とした潔さと、堀文子流儀の美学が詰まった言霊の宝石箱。どう生きるべきか。常識を超えた哲学がある。この本には、絵画の作品も挿絵であるので、宝探しのように、パラパラと本をめくるのも、愉しい。

おすすめポイント:
生きることに迷った時、開いたページが、その時の自分の道標になるような羅針盤です。

堀文子の言葉 ひとりで生きる (「生きる言葉」シリーズ)

著者:堀文子

堀文子の言葉 ひとりで生きる (「生きる言葉」シリーズ)



その疑問を解くかの如く、彼女のこれまでの成し遂げてきた作品の歴史が画面に映し出された。なんと、彼女は、その時、既に80歳を越えていたが、幻の花ブルーポピーを求めて、その花の絵を描きにヒマラヤ山麓まで行くスーパーウーマンだった。


経歴を辿れば、更に驚く偉業が並ぶ。1918年、東京に生まれる。科学者になる夢を持ちながら、女性の社会的な自立や自由が制限されていた時代にあって、何も縛られない美術の世界を志す。女子美術専門学校(現・女子美術大学)師範課日本画部卒。28歳で結婚後も革新的なグループで活躍。43歳の時、夫と死別。翌年から約3年に渡り、エジプト、ヨーロッパ、アメリカ、メキシコなど巡り、画家としての再出発を果たす。49歳で、大磯、軽井沢に居を構え、自然の中で創作活動をする。70歳でイタリア・トスカーナに移住。帰国後も更なる未知の世界を求め、70代後半~80代前半まで、アマゾン、ペルー、ヒマラヤ山麓へと取材旅行を続ける。2001年、83歳の時、解離性動脈瘤に倒れるが、奇跡的に自然治癒。その後の活躍が、昔観たTVの内容である。今年の7月の誕生日で、御年93歳になる現役の日本画家。


その堀文子さんが、求龍堂の編集者に口説かれて、人生の先輩から“生きる勇気”をいただく「生きる言葉」シリーズの創刊として【堀文子の言葉 ひとりで生きる】を2010年に発刊した。今回は、この中から、私が、これは!と思える凛々しくて、美しい、堀文子の言葉の宝石を並べたいと思います。感覚の赴くまま、ランダムに、並べますので、お使いになるのには、順序も、順位もございません。どうぞ、ご自由に、胸の内で呪文のように唱えて、あなたの心に響く言霊たち、気高く輝く真珠の粒をお持ち帰りください。




★現状を維持していれば無事平穏ですが、新鮮な感動からは見捨てられるだけです。

 

★私のなかに潜む未知の能力がまだ芽を吹いてないんじゃないかと、あきらめきれないでいるんです。


★一生は一回しかないんですよ。


★「旅はひとり」という信条に従って、言葉もできぬのに海外での一人旅を続けてきた。


★肩書を求めず、ただ一度の一生を美にひれ伏す、何者でもない者として送ることを志してきた。


★停滞し驚きを失っていく自分を捨てるため、私は時々居を変えた。


★私はいま九十代のスタートなんです。
あと何年でお迎えがくるのか知りませんが、初めてのことなんです。
「九十代」は初体験です。


★生きるものはやがて死に、会うものは別れ、財宝も名利も仮の世の一時の驕りであることが、否応なく見えてくる今日この頃である。


★人を見るときも本能で、好きか嫌いかで、損得では決めません。


★反省なんてしたらダメなんです。反省したら前のところに留まってそこから上には行けないのです。反省は、失敗したことを叱るお説教みたいなものですから、これから進む前に戻れということになるわけでしょう。


★その時その時をどう生きているか、その痕跡を絵に表すので、一貫した画風が私にはないのだ。結果として画風が様々に変わって見えても、それらはすべて私自身なのである。


★始まりの生と終わりの死が一つの輪になっていて、永劫に続く命の輪廻がわが身のなかにあり、それを静かに見詰めている自分に驚いている。


★息の絶えるまで感動していたい。


★五十歳ならまだ、まったく別の専門家になれるくらいの体力と判断力もあります。ですから、五十歳からあとは、迷ったり、あたりを気に散らすことなどもう許されないと考え、五十からあとの新しい暮らしに踏み切りました。都市生活を捨て自然のなかで暮らしはじめました。


★自由は、命懸けのこと。


★自分は日本の生物だったと、そのことがわかるまで長い時間がかかりました。
見つかったかどうかは知りませんけど、「青い鳥はよそにはいない」ということがわかったのです。皆さんも「青い鳥は自分のなかにいる」はずです。


★思えば私がこの世で初めて出会ったのが「私」。


                                         

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