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2012年2月 9日 (木)

“レモン哀歌”の詩碑が建つ、病院跡地。

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先月、新年早々、娘が上演したひとり芝居『売り言葉』は、野田秀樹脚本で、芝居の内容は、純愛詩集「智恵子抄」がモチーフになっていたことを、このブログでもこれまでにも幾度となく綴ってきました。そう、あの彫刻家でもあり、詩人の高村光太郎氏と結ばれ、芸術家を目指し、新しい女として生きぬいた長沼ちゑこと、後の高村智恵子さんの男女間の心の葛藤が、野田秀樹のモノの見方で描かれたユニークな戯曲です。その芝居を上演する本番の朝、会場入りする前に、私と娘は智恵子さんが最期に息をひきとった病院があった場所に向かいました。

そこは、南品川にあったゼームス坂病院です。が、もう今は、その病院はなく、マンションになっていますが、その病院跡地に、智恵子さんを偲ぶ記念の詩碑が建っているというので、これは観ておくべきだと感じて、昨年11月にお墓参りをした時のような心持で、その跡地へタクシーを走らせました。ちょうど、娘が上演することになった会場・楽間は、この病院跡からすぐ近くの北品川にあったのも、不思議なご縁でした。

タクシーの運転手さんに、そのことを告げると、初耳だったらしく、ゼームス坂は、今も、ありますが、智恵子抄所縁の詩碑のことは、驚きだったようです。で も、とてもいい運転手さんで、私たちに、「今日は、ひとつ知識が増えました。いい文学名所を教えて頂いたし、お芝居の成功をお祈りします。」と言ってもらえて 心地よい風を感じた七日正月の朝でした。、そのゼームス坂に登り、タクシーを横付けしてもらい、見上げた青空の下に、御影石でしょうか…黒光りする石碑が堂々と建っていまし た。

 


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レモン哀歌

    そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
    かなしく白くあかるい死の床で
    わたしの手からとつた一つのレモンを
    あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
    トパアズいろの香気が立つ
    その数滴の天のものなるレモンの汁は
    ぱつとあなたの意識を正常にした
    あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
    わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
    あなたの咽喉に嵐はあるが
    かういふ命の瀬戸ぎはに
    智恵子はもとの智恵子となり
    生涯の愛を一瞬にかたむけた
    それからひと時
    昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして
    あなたの機関はそれなり止まつた
    写真の前に插した桜の花かげに
    すずしく光るレモンを今日も置かう


 

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詩碑には、高村光太郎が、智恵子に捧げた有名な詩“レモン哀歌”が刻まれています。その生原稿の筆跡そのままに刻まれた詩には、何度か手直しして、推敲した後もそのまま、校正したままの生々しいもので、グッと息を飲みました。その石碑の足元には、この石碑を建立した方たちの想いが刻まれていましたので、ここにその文面を紹介します。

 



高村智恵子詩碑


 この地は、詩人、高村光太郎氏の愛妻 智恵子氏が、晩年、療養生
活を送っていたゼームス坂病院があったところです。また智恵子氏は
昭和十三年十月五日、五十三歳のときにこの病院の一室でお亡くなり
になりました。

 品川郷土の会では、この貴重な文化的史跡を長く後世に残すため、
詩碑を建立することにし、高村光太郎氏が、智恵子氏との永劫の別れ
を哀惜して詠まれた、有名な詩 「レモン哀歌」 を詩碑に刻みました。

 碑は推定される智恵子氏の背丈にあわせ、文字は、高村光太郎氏
直筆の原稿をそのまま拡大して刻みました。

 なお、この詩碑の建立にあたって、快く 「レモン哀歌」 の使用を承
諾していただいた高村規氏、また、土地の使用を承諾していただい
たゼームス坂病院跡地所有者、東京マックス株式会社に心より感
謝いたします。



                      平成七年六月 品川郷土の会




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なんと、この詩碑は、智恵子さんの背丈にあわせていたとか。その足元には同会の方がお供えされたのでしょうか。レモンが盛られていて、とてもレモンの黄色が御影石の黒に反映されて美しく、哀しみを讃えているようで、私は、胸がつまってしまいました。石碑の傍らには、大木が聳えていました。なんの樹木だったのか定かではないのですが、まるでその大木が光太郎であるかのようで、智恵子さんの背丈の石碑をかばうように愛しむように雨風を遮る役目をして肩を抱いているようにも見えました。

この空を何十年か前に、きっと、智恵子さんも、病室の窓から覗いて見上げていたであろうと、想うだけで、こみ上げてきました。東京には空がないという。ほんとの空が見たいといった智恵子さんが、どういう心持でいたことか。ここにあった病室で、あの綺麗で繊細な千代紙の切り絵を創作していたことも、お見舞いにくる光太郎を毎日幾度となく恋しく待っていたであろうことを。狂ったとはいえ、その当時に、精神病棟に入れられるというのは、世間からの隔離です。遮断でさえあり、蔑まされていたことでしょうし、今は、公の場では禁句となっている『キチガイ』と、もしかしたら、彼女は罵られていたのではないでしょうか?

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芝居の最後の台詞に、光太郎が5か月間も、この智恵子さんが入院した病院に、見舞いにこなかったことが女中の言葉で罵倒されています。その台詞が、耳に残って、リフレインしてきました。さぞや、智恵子さんは、待ちわびて、恋しさで、狂おしく、被害妄想も肥大し、眠れぬ夜も幾度となくあったのではないかしら?反対に、光太郎の立場になれば、妻の精神が病み、人間界の言葉を持たなくなった智恵子の元へ日参するのは、生身の男なら、億劫になるのも、仕方ないこと。別の女、詩人の女性に、心奪われても詮無いこと。

どうしようも諍えない男と女の機微。そんな空気も、まだそこかしこに渦巻いているかのようで、この詩碑の前に佇み、お祈りをし、レモンを凝視して、私は、最後に青空を見上げて、大きく深呼吸をしました。(智恵子さん、どうか、今日一日、娘の身体を借りて、化身となって表れてきてください。娘に、あなたの心模様を語らせてやってください。) あなたが最期に観た空は、今日のように綺麗な青空であったでしょうか?故郷・福島の阿多々良山の上にある、あのほんとの空のように…。

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