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2013年3月31日 (日)

本選びが、文との扉でした。

仕事柄か、よく、「根っから、文章を書くのが、好きなのでしょうね…」と、言われたりします。そうですね~と、答えつつも、少し違うような(笑)でも、こういうことを訊いてくる人には、話しても無駄な気もして、あっさり頷くことも多々あるのですが、それだけじゃないんだけどなという想いは、いつも含んでいます。

また、ある人には、「文章の書きだしは、どういう風にして書きだすのですか?」と、いうちょっとムツカシイ質問を受けることもありました。天から言葉が降ってくるのを待つ!と言えば、台詞めいてカッコいい?!かもしれませんが、どうもそんな大層なことでもなく、ただなんとなくつらつらと書いてしまうことが多いです。

昔は、原稿用紙に鉛筆(なぜかトンボの2B)でしたが、いまは、こうして、ブログを綴るのも、PCのキーボードを打つので、違う脳の働きをしているのかもしれません。今日は、こんな風に、しょうもないことを文章にしながら、自分というものを見つめてみたいと想います。

このブログは、詩に関することを書いていこうとして開設したのですが、詩でもなく、散文でもなく、作詞でもなく、短歌でもなく、今日みたいに、文章というくくりで書くのは、初めてかもしれません。詩に関しては、このブログのトップ、扉にもあるように、【詩心の芽生え】http://poesie-may.cocolog-nifty.com/poem/2009/09/post-fbf5.html に綴っているので、そこを最初に読んでください。そこから、詩のブログへ進んでもらえると、土足で座敷に上がられたようにはならないので、マナーとしては、そうしてもらえると、嬉しいです。

 

文章を書くのが好きになったのは、それよりも前に、本を読むことが好きでしたからかもしれません。面白い話しになりますが、うちは、愛媛県の片田舎で、紳士服の洋品店屋の娘でした。父は、洋品店を経営する前は、大阪の今里で散髪屋さんをしていた職人気質の男でした。戦争で空襲に遭い、一旦、祖母の郷の愛媛に疎開したことや、終戦のどさくさで、着るモノを商売にした方が儲かると想ったのか、商店街に店を構え、大阪の船場で仕入れて来た紳士服を売る洋品店を開業したと幼い時に聴いたことがあります。その父が、けったいな人で(笑)、自分の妻に着物を誂える時には、商店街の呉服屋に母を行かすのではなく、呉服屋の主人に、母に似合う反物を何本か持ってこさせ、我が家の店先で、それを並べて、母に気に入ったモノを買うてやる方式で、父は、悦にいった顔つきで、ご満悦になるのが常でした。

 

その癖が、娘への本の購入にも生かされていたのか?!定かではありませんが、私は、毎月、父から商店街の本屋さんから、文学全集のようなお薦めの本を持ってきてもらい、それを子どもの癖に、偉そうに値踏みをするかの如く、あれこれと気に入った本を父に買ってもらってました。まるで、母の反物を買う時と同じく、本屋の店主が、小学生の私に似合うであろう類の単行本を持参してくるのです。文学全集もあり、詩集もあり、児童図書、子供向けの新刊もありと、その種類は多種多彩でした。

 

でも、ここで、油断していたら、ダメなのです。父の目利きは、厳しく、その時、私の選ぶ審美眼を寸時に見抜いていて、興味なさそうならば、あっけなく、本屋の亭主に、「すまんが、持って帰ってんか。今月は、ええわ。この子、読む気ないみたいやで。」と、さっさと、本屋のおっちゃんの開けた風呂敷を畳むような事を言ってのけます。もう、そんな殺生な~(笑)という顔つきで、おっちゃんは、そそくさと帰るのですが、私も、初めてそれをされたときは、呆気にとられ、ぽかん!と口が開いたまま、ええ~、そんな、どれか一冊だけでもええから、置いといて、読むがな読むがな~と、せがみたくなりましたが、父はそれは許さない人でした。

 

でも、決して、ケチというのではなく、私が、興味津々に、あれこれと、持って来た本を開いて、最初のページを黙読して、顔がほころんでると、「ヨッシャ!きょうは、全部もろとくわ。置いといてええで。」と、気前よく、持って来た本を全部買ってくれました。父に訊いたわけではないのですが、私がどんな本に興味持つのか、持たないのか、それを実際に観ながら、見極めていたのでしょうね。この娘は、いま、何に関心があるのか否か。それと、銭の使い方の潔さは、ほんとうに欲しいモノに、身銭を使うのだということを、暗黙の了解で、私は、この時、会得したような気がします。ですから、毎月、本屋から届く定期便の文学全集を読むのではなく、届けてもらい、その中から、自分で選ぶ、選択する力をつけてもらってました。これは、とても後々、役立ったものです。本だけでなく、人も、物も然り。見極める力を、この本選びで、知らず知らず、教えてもらえたこと、今さらながら、父は粋筋の男だなと惚れています。

 

そんな少女時代を小学生の高学年までしていたので、本は身近なものでした。今でも、覚えているのは、ヘルマンヘッセの「車輪の下」や、バーネット夫人の「小公女」や「小公子」、マリーアントワネットの伝記「悲しみの王妃」、今話題の映画『レミゼラブル』は、「ああ無情」というタイトル本で、読んだ記憶があります。その読書好きが嵩じて、晴れて文学少女になれた私は、好きな作家のタッチで、文章を真似ることが多くありました。好きな歌手の歌を物真似するように、文体を真似て、作文を書いたり、詩を書いたりし出したのも、小学生の頃からでした。

 

中学では、親友のK子ちゃんと交換日記をしていたのですが、その頃の文面は、たわいもないお喋りの延長で、今で言うなら、メールやチャット擬きの口語体ですかね。中でも、詩は、中・高生の頃に夢中になって創作意欲に燃えたものです。難解な詩と言われる、「月に吠える」の萩原朔太郎なんて、もう大好きでした。その反面、夭折の詩人という言葉が似合う風貌で抒情詩の代表的な「優しき歌」の立原道造にも惹かれてました。そういえば、24歳で病死した立原道造は、この3月29日が命日でした。見舞いに来た友人等に、“五月のそよ風をゼリーにして持って来てください”と、願ったとか。ほんとうに、彼は、最期まで、儚い詩人でした。

 

高校生の現国の課題で出た作文の宿題では、太宰治タッチの長文を綴って、国語の専門教諭に褒められて、その教諭と、ダダイズム談義に熱く語ったのも楽しい学生生活の一齣でした。ある時、その教諭が、私の作文用紙の裏に、びっしり、赤ペンで、その感想を綴ってくれて、師弟の垣根を越えたような錯覚で、文壇の友のような会話をしたこともありました。オマセさんだったのでしょうね。きっと、耳年増があるように、文章を書くことで、難しい漢字を妙に使ったり、大人びて背伸びをしていた気がします。

 

こういうことを書きだすとキリがないのですが、今でも文章や詩を書く時に、大事にしていることがひとつあります。それは、文章の書きだしです。何をどうかくかは、おぼろげに浮かぶのですが、最初の一行が、書けないと、そこで詰まると、もうダメですね。文体が最後までズタズタになる気がします。なぜ、書きだしを大事に想っているのかと、考えてみたら、やはり、少女期の本選びにつきます。あそこで、どの本にするのか、これは面白いか否かを見極めたのは、最初の一行との本との出逢いです。人で言うならば、第一印象とでもいいましょうか。だから、文章の書きだしの一行は、覗いてみたくなるか否かの境目です。着物でいえば、チラリズム(笑)。裾に翻る、裏地、八掛の裾模様のように、チラッと覗いてみたくなる。そんな色香も含んでいないと、手招きの味のある文章にならない気がします。

 

私の文面が、読みやすいかどうかは、自分ではわかりませんが、ずんずんと読み進みたくなるそんな文章になれたいたら、本望です。今宵もおつきあい、ありがとうございました。ああ、夜も更けて来ました。もう日付が変わります。弥生三月が終わり、新たな四月の扉が開かれます。四月一日、エイプリールフール。では、みなさま、人と人との潤滑油になれるように、夜が明けたら、誰もが微笑む上手な嘘をつきましょう。といっても、ここまで書いた私の文章には、嘘偽りは、決してございませんこと、最後に申し添えておきます。拝!




			

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